日本人は貧乏くさいのが好き

パフュームのファンからも感じられるのですが、

日本人は苦労話が好き。でも苦労の先の成功からの経済的豊かさに対して他者は、単にやっかみとも言えないような嫌悪感を示す。

 

これってつまり、日本人って、貧乏くさいのが好きなんだ、

言葉をもう一歩踏み込むなら、貧乏が好きなんだ、

そんな気がします。

 

かくいうわたくしも、いい年齢になってくると、家具のない四畳半一間の生活とか石油ストーブと玄米粥とかの生活がいいものだと感ずるようになりました。

日本人が伝統的に宮殿よりも茶室を愛してきた、というか日本建築史的には茶室くらいしかオリジナルなものを作り出してきていない。

贅沢壮麗な建築文化は中国と西欧からの受け売りに過ぎない、とか。

 

それに最近はシンプルライフとかミニマリストとかの追い風もありますんで、

 

私において、何がこのような貧乏くさい生活へのあこがれのきっかけになったのかというと、

ネットのおかげで音楽・映画・雑誌などに金を使わなくなったため、消費活動が極端に細り、金を使わないのが自分の中で当たり前になったってのがありますが、

その金を使わない娯楽の一つの支流として、ひなびた温泉地の素泊まり宿をネットで探して巡ることを秋冬に頻繁に行うようになったからというのが大きいです。

そういうところの宿って、四畳半とか六畳一間で、それ以外にほとんど何もないですから。んで、それでいいというか、それがいい。

 

 

ひなびた寂れた温泉地の格安のホテルや旅館を巡るのって、あんまり他の観光客と出くわすことはないのですが、

でもネットで読んでると、自分みたいなことやってる人たちっていっぱいいるんだなということが分かりました。

 

 

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

 

 

そういう人たちって、高い割合でつげ義春の愛読者だったりして、

貧乏とか、わびしさとか、ほの暗さとか、経済的苦しさに魅了された蛾のように、人気のない温泉にやってくるのですが、

 

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ゲンセンカンって、源泉館という漢字があてられるのが妥当でしょうか。わたくし、学生の頃にはゲンセンの意味が分かりませんでしたけど、温泉よく行くようになると成程と思いました。

熱湯の源泉というよりかは、命の源泉の意なのです。

英語にすれば、Spring Of Life でしょうか。

「はじけるような恋」とつげ義春の描く肉欲は全然違いますけれど、あの曲のPVが持っていたほの暗い世界観ってどこかでつげ義春とつながってる、んでしょう。