『ねえ』 Perfumeの演出はストレートではないので、万人受けしない可能性が高い

『ねえ』 ですけれども、どういう状況についての歌なのか、よくわかりません。

今日のお出かけコースを決めようとしている女の子のそばに相手の男の子はいるのかいないのか?

そして、この女の子の恋愛は現在進行形なのか、それとも終わったものなのか?




パッと見、詞の中には悲しい要素は巧妙に隠されているようですけれど、

曲調くらいですからね、
実は、そんなにうまくいっていない男女関係についての歌だ、という察しがつきます。


そして、Perfumeの面白いところは、
曲に対しての感想を 私たちが感じる前に、振付師が感じてその思うところを付けたし、そのあとビデオ監督が思うところを付けたし、 というプロセスが続くところです。

ビデオ見ても、暗い感じです。
単にわがまま女が、仕事に疲れた男を日曜日に揺さぶり起こしているだけとはちょっと違う、ようです。



「二人の思い出を重ねて」


「思い出を…」の箇所で 重ねるに相当する振付が出てきます。

そして、肝心の

「重ねて…」の箇所では拒絶するようなゼスチャー(とくに、のっちさま)


そして、よくよく考えると、
二人で一緒に過ごした時間のことだったら、
「思い出を重ねる」なんて言い方するのは実は、変。


おそらくうまくいかなかった恋愛のことについての歌なのだろう、
少なくとも、振り付けにはそのような解釈が込められているようです。



また、何度も何度も繰り返される 「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ」という呼びかけ。
これ、ミャー、ミャー、っていう猫の鳴き声のようにも聞こえます。

中田ヤスタカがそのように狙っていたのかどうかはわかりませんが、
PV化された時には、女の子=猫 の解釈がはっきりと示されています。

猫と人間は、言葉通じないですから、
結局分かり合うことないまま、別れた二人。
そんな解釈がふさわしい、というか、
猫をかわいがるような風以上には、男は女の子を愛そうとはしなかった。
もしくは、最後には猫みたいに捨てられた女。
PVにはそういう解釈が塗りこめられているわけです。

そして、猫=かしゆか とPVの中ではなっていますから、PV的には主役はかしゆかなのでしょう、きっと。


もっとも、そういうPVなり振付の解釈は、あくまでも曲にうわのせされたものにすぎないわけで、
そこまで支配的なものではない。

だからこの曲を、日曜日の朝に朝寝坊の男に電話をかけ続ける女の子、もしくは寝ている男をゆすって起こそうとしている女の子の歌と解釈する人もいるでしょう、
そして、
そういう解釈が成り立つように、
三人のうち、PVではあ〜ちゃん一人だけは場面場面で笑っている。


詞のなかのいびつな部分、詞と曲調の乖離、そういうものをうまく視覚化しているわけです。


もう一つ言うと、

信号わたったら、その先は広い海、

って、いつもの中田さんの 「卵の殻の外に出る」 というモチーフなのですが、

どうして女の子は海に行くのだろう?

二人のデートの行き先が海なのだろうか?
それとも一緒にデートに行ってくれるはずの男の子は実は手の届かないところにいるから、一人で海に行ったのだろうか?
よくわかりません。

そして曲調くらいですから、暗い方の解釈に説得力があるように思われます。


そして、ライブでは、そういうもやもやした部分を全部取っ払って、ハッピーエンドの曲にしてしまう、
これはあ〜ちゃんの仕事なんでしょうが、

ライブでは、PVと違って、三人が三人ともうれしくてたまらない顔で笑ってる。

一人でCD聞いてたり、Youtube見てたりして溜め込んだもやもや感が、ライブでは、全部掃き清められるという感じでしょうか。

まあ、PV監督のほうでも、ライブではあ〜ちゃんがこんな風に仕掛けてくることを見越したうえで、彼女の笑顔をPVのなかに仕込んでおいたりするのでしょう。


ライブ用の振り付け 2:20 の箇所。


こういう仕組みって、実によくできているんですが、

詞がわかったうえでのイメージの積み重ねですから、
日本語わからない外人にとっては、わかりづらいんだろうな、という気がします。


ベビメタでの、こういうこねくり回したところをすっぱり切り落とした感じ、というのは、
Perfumeの方法論に対する反省と改善のようにも思われる次第です。