これが口パクだ、これがパフュームだ!

『マイフェアレディ』にオードリーヘップバーンが配役されたとき、

彼女は自分で歌う気満々だったそうです。 

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 ところが、

映画会社の目論見の第一は彼女のネームバリューであり、彼女の歌は全部口パク、別の人の歌声での差し替えであることが告げられると、

オードリーヘップバーンは激怒してドア蹴って出ていったそうです。

 

最近なんかのどこかのアンケートで「一番エレガントなイギリス人」を選んだんですが、並み居る英国王室メンバーを差し置いて、

オードリーヘップバーンが一位に選ばれていました。

そんなエレガントな彼女に似つかわしくないエピソードですが、

逆にいうと、口パクって、そのくらいに屈辱的なもののようです。

 

「できるだけオードリ―の声も被せて使うから」という遺留の条件提示もあり、

彼女は無礼な態度を淑女然と謝罪し、映画の撮影に臨みました。

 

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正直言って、微妙なレベルです。

結果、ことごとく彼女の歌声は消去させられるのですが、

 

それゆえに、彼女は自分が主役のイライザを演じることの意味を、ひたすら演技の中で追及します。

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舞台のミュージカルですと、あくまでも歌がメインであり、その合間にダンス振付があり、演技は二の次のいう感じですが、

映画ですと、演技の良し悪しに対する言い訳は許されませんし、

歌っていないときの通常演技はともかくとして、

歌い踊りながらの演技って普通の人の日常生活には本来ないものですから、何がいいのか悪いのか判断しがたいものがあるのですけれども、

彼女の上品なコミカルさは、そんな非日常的な演技でも輝いています。

下品な底辺の花売り女を演じていても、下品さではなくコミカルさへと昇華されているのが素晴らしい。

 

おそらく多くの日本のアイドルの演技がこの『マイフェアレディ』を、元ネタとしており、

たぶん、パフュームのメンバーもこれ見て勉強させらてるんじゃないですか。

 

 

それでは、パフュームはどうなのかといいますと、

曲を演技で表現する芸に関しては、『リラックス…』のあ~ちゃんを見ている限りでは、

いまさら何やったところでオードリーヘップバーンの足元にも及ばない。

 

それでは、パフュームって全然だめなのかというと、

実のところ、本来は、オードリーの口パクとパフュームの口パクって似て非なるもので、

『マカロニ』 △横浜アリーナ

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「手と手をつなぐときにも、そっと深呼吸をする」

ここで詞の通りに深呼吸したら、唄えないはずなんですが、

それでも深呼吸するのがパフュームの芸なわけで、

 

本当のことを言うと、パフュームの芸って口パクでさえない。

普通の口パクは、あくまでその人があたかも歌っているように見せるためのものなんですが、

パフュームの場合は、それ逸脱してるわけです。

 

ネットに「踊ってみた」ってのがアップされていますが、

「踊ってみたら、これで口パクは甘えだと思ったから、踊りながら歌ってみた」って動画もあってもよさそうなものなんですが、

なぜか、そういうの在りません。

パフュームにはダンス振付の激しくて到底同時に歌えないものもあれば、

「こんな楽な振り付けで口パクって、ピンクレディと比べると甘えとしか言いようがない」ってのもあります。『マカロニ』ってそういう曲の一つなんですが、

でも、

口パクは甘えだと思ったから、踊りながら歌ってみた」ら、

深呼吸をするの箇所で、

「あっ!」と気づくわけです(俺自分ではやってないけどね)。そしていたるところで、録音された声のローテンションさとそこにあてられた振り付けのハイテンションのギャップに気づくわけです。

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この振り付け踊りながらだと、このテンションでの歌を維持できなくてもっと感情こもってしまうはずなんですが、

歌と振付の間のギャップが維持されることで、

見る者は、ここに人間のリアルな心の在り方を感じてしまうわけで、

 

これは口パクゆえに可能になった表現の在り方です。

 

ちなみにベビーメタルでいいますと、例えばギミチョコのPVって、


BABYMETAL - ギミチョコ!!- Gimme chocolate!! - Live Music ...

あくまでも中元すず香の歌があって、彼女はミュージカル舞台のようにまず第一に歌を歌う。そして脇の二人が中元すず香の内面を増幅表現するかのように踊るのですが、

基本的に歌と言葉に対して、振り付けはズレも乖離もしていません。その点では、まさにミュージカルといったところでしょうか。

それと比べると、パフュームの芸ってミュージカルではなく、ミニマム演劇というかミニマム映画というべきもので、

ベビメタの三倍くらい複雑で、これを海外仕様に転換するためにいじったら、グダグダになってしまった、というのがこの数年間のパフュームの物語じゃないでしょうか?

 

私たちの日常生活では、本当に言いたいこと言い散らして生きてるわけではないですから、言葉と裏腹の内面、言葉と裏腹のしぐさ、が常態なのですが、

普通の場合は、言葉の方がより確かなものだとみなされます。

 しかし、

 

横浜アリーナ で最も野心的な撮影と編集、それに演出のなされた『マカロニ』ですが、

それが顕著に分かるのが、のっちからかしゆかに口パクが移る箇所。

「名前を呼び合うときに、すこしだけてれるくらい…」

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かしゆかに口パクマイクが移り、その後ちょっとだけ画面はかしゆかを映しますが、

すぐにのっちあ~ちゃんに画面が移ります。

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(煮立ったお湯の中ではねているマカロニを表現しているらしい指の動き。そしてそのマカロニの落ち着かない動きに女の子のその場の心情が表現されている、らしい)

 

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横浜アリーナの『マカロニ』の方針は、とにかく歌っている人(口パクの人)を画面に映さない。

言葉と内面にズレがあり、言葉を突き破って内面の世界に突き抜けることを曲のテーマとしているのですから、

振り付けの方が重要なわけです。

パフュームの口パクは、唄っているふりしているわけではなくて、

歌っているのと踊っている様子のズレを芸としていたわけです。

 

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「これくらいの感じで多分ちょうどいいよね。どれくらいの時間を寄り添って過ごせるの?」

ラストでは言葉と振付のずれがなくなり、多幸感に満ちたハッピーエンドで締めくくられます。